江戸の徳養寺 Part 1 ~歴史編~

今年(2017年)は、徳養寺が明治40(1907)年に八幡の地に出来て、ちょうど110年目にあたります。しかしながら、じつはこの徳養寺は江戸時代に江戸の地で始まったお寺だったのです。

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東日本大震災によって先端が曲がった東京タワーと増上寺(2011年11月撮影)

そこで今回は、ご門徒の皆さまにもあまり知られていない、徳養寺のはじまりの歴史を紹介します。

170330_徳養寺縁起(部分・圧縮)
徳養寺について書かれた文政時代(1820年代)の史料(『御府内寺社備考』)

徳養寺の開基は了傳りょうでんという人物です。了傳はもともと、深笹みささ内蔵助くらのすけという名であったようですが、その出自はよく分かっていません。彼は寛永5(1628)年 ー 徳川家光が将軍であったころ ー 、俗世を離れて、芝岸町(現在の港区芝大門のあたり?(下写真))に草庵を建てました。その後、寛永16(1639)年、東本願寺(現在の真宗大谷派!)の第13代法主ほっす宣如せんにょ上人より寺号を賜りました。これが、徳養寺の起こり(縁起)です。(お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、山号も今の八光山ではなく岸照山とあります。)

創建の場所は芝岸町でしたが、その後、近くの増上寺(浄土宗)から土地を二度召し上げられて、最終的に、萬治3(1660)年に麻布の地へと移転しました。寺号を賜ってから20年ちょっとで2回も移転しているのは驚きですが、増上寺は徳川将軍家の菩提寺の一つであり、その威勢の前には、徳養寺なぞ吹けば飛ぶような存在だったのでしょう・・・。

170330_大門2(圧縮)
芝大門の交差点には増上寺の山門があります。もしやここがかつて徳養寺の・・・?!(汗)

なお、現在の徳養寺は東本願寺(真宗大谷派)ではなく、西本願寺(浄土真宗本願寺派)に属していますが、これは第三代玄秀の時代(元禄のころ?)に転派したことに由来しています。現在の感覚だと、宗派を変えるというのはかなりのおおごとですが、当時の江戸では、そこまで珍しいことではなかったようです。(上記文政時代の史料にも西本願寺末(末寺のこと)として記載されてます。)

さて、今回の記事はここまで。麻布の徳養寺については、古地図でその場所がはっきりしています。近日(?)公開予定のPart2では、その跡地を訪ねます。いましばらくお待ちください。

RIMG1608隣の墓地の急斜面 - to be continue

[参考文献]

  • 『遠賀郡誌』、遠賀郡教育会、1917年。
  • 『京橋区史』、東京市京橋区役所、1937年。
  • 『御府内寺社備考』7、名著出版、1987年。
  • 『東京市史稿』市街篇、1914-1996年。
  • 『徳養寺のルーツを調べて』関崇博(私家版)、n.d.。
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