寺と教会と私 ~ 鐘の歴史をたどって

先日の記事除夜会じょやえ(除夜の鐘)のご案内をいたしましたが、もうあと二日で今年も終わります。そこで今回はお寺の鐘(梵鐘ぼんしょう)にまつわる豆知識をちょっとご紹介。

徳養寺では通常、朝の6時と夕方の18時に鐘をついています。(法要の際はお昼の12時にもつくんです。)このような“時を知らせる”というお寺の鐘の役割は、ご存知のようにキリスト教の教会の鐘も同様です。ヨーロッパを旅したりしますと、町に響き渡る鐘の音が異国情緒を一層醸し出してくれるような気がします。

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さてじつは、一説によると、教会の鐘は仏教に起源があるというのです。昔むかし、中央アジアの仏教寺院で用いられていた鐘を当地のキリスト教徒が見て取り入れたのが、キリスト教における教会の鐘の始まりなのだそうです!(゚д゚)!  なんともびっくりなお話です。

若院じゃくいんは昔、研究のためにドイツに3年半ほどいた時、教会の鐘をいつも聞いていたのですが、当時は全く知りませんでした・・・。(下の写真は、若院が1年ほど住んでいたデュッセルドルフにある聖アントニウス教会のもの(ウィキペディアより)。)デュッセルドルフ 聖アントニウス教会

ドイツやスイスなどでは、教会の鐘は結構長く、大きく鳴ります。ましてや日曜朝のミサをつげるときの鐘は、とても大きく、それも20分くらい鳴り続けます。昨今の日本では、街なかのお寺の鐘の音がうるさいと苦情を受けたりして、鐘をつかなくなったお寺も多いと聞きます。ところが、ヨーロッパの鐘はこのように現役バリバリなのですね!

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ドイツ・ボンのミュンスター寺院

若坊守は若かりし頃、住んでいたドイツのボン(Bonn)で、近所の教会が日曜の朝に鳴り響かせる鐘の音の大きさと長さに腰を抜かしそうになったそうです。大袈裟ではなく(笑)!! 10個以上の鐘が一斉に「ガランゴロンガランゴロンガランゴンガンガランゴン・・・」と20分なり続けて、ゆっくり寝ていたい日曜の朝に叩き起こされたそうです。(これぞまさに「Bonn鐘ぼんしょう」(;^ω^) テヘッ。)それに比べれば、日本のお寺のゴ~ン、ゴ~ン・・・なんてかわいいものです。ちなみに、「とてもじゃないけど、寝られない!騒音だ!((+_+)) 」とぼやいていた若坊守は、1か月もすると鐘の音に気づかないほどぐっすり眠り続けていたそうです。留学生活が終わり、帰国すると、鳴らないと寂しくなるくらい。。。慣れっておそろしいですね。。。(^-^; いずれにせよ、“時を知らせてくれる鐘の音”にも「寛容な心」を持っていただけるとありがたいです。

以上のように、意外にも仏教とキリスト教の深い関わり合い、「文化的融合」を知ることとなり、そういえば最近も似たような「現象」を垣間見た記憶があるなあと思い出しました。

そう、つい先日、私たち家族が日々大変お世話になっている、E寺のご住職が“お浄土にある宝樹を再現してみた仏花”を活けられてツイッターで公開し、時期的にも、どう見ても「〇〇〇〇〇ツリー」のようにしか見えない!とネット上で大きな話題になっていたのを思い出したのです。(ご住職曰く、「うちはお寺なので(〇〇〇〇〇ツリーは)ありえない」とのことですが。(笑))素晴らしい力作に思わず、「なるほど~」っとうならされました。

最後に、古い写真を2枚ご紹介します。

左塔遠景(圧縮)

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梵鐘を塔の上に設置する工事 (1972(昭和47)年)

徳養寺旧本堂の写真と1972年に梵鐘を建物右側の塔の上に設置しているところの写真です。じつは、第二次世界大戦における金属供出(※)により徳養寺の梵鐘もなくなっておりました。それが再鋳造され、元あった場所である塔の上に設置されたのが1972年だったのです。そして、現在の本堂に建て替えの際に、耐震のために塔の上から下され、本堂正面の今の鐘つき堂(鐘楼)に吊るされることとなったのでした。ですから、それまでは大晦日にはご門徒のみなさんも塔の上まで細い階段を上っていって、除夜の鐘をついていました。急な狭い階段で、人数制限をしながらだったので、なかなかドキドキの体験でした。当時は周りに高い建物もなく、眺めも良かったです。

それにしても、じつはとても身近なところで仏教とキリスト教とのコラボのような光景を目にしていました! そう、この徳養寺の姿でしたね。。。よく教会に間違われます。(;^ω^) 明治や大正の時代には旧八幡製鉄所に来ていた外国人が間違えてお参りに来たりしたこともあるそうです。(^_-)-☆joyanokane_yuki[1]

以上、長くなりましたが、やはり「鐘の音」というのは、平和の象徴であるのだなあとつくづく考えさせられました。また鐘がなくなるような世の中にならないように念じつつ、毎日の梵鐘の音にも心穏やかに耳を傾けていきたいものです。。。合掌。eto_saru_kotatsu[1]

(※)当時の日本では、戦争遂行に必要な兵器を製造するための金属資源が不足していたため、金属類回収令(昭和16年9月1日施行)が公布され、あらゆる種類の金属類が供出させられました。

[参考文献]

西村実則「鐘 ー合図と滅苦ー」『修行僧の持ち物の歴史』山喜房佛書林、2012年、301ー323頁。

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