徳養寺の本堂の前の階段を降りると、鐘楼へつづく道の傍らに小さな碑が建っています。
この碑は、今から25年前の1992(平成4)年10月7日、続きを読む »
徳養寺の本堂の前の階段を降りると、鐘楼へつづく道の傍らに小さな碑が建っています。
この碑は、今から25年前の1992(平成4)年10月7日、続きを読む »
以前の記事(GHQが撮影した徳養寺)で取り上げた、徳養寺の戦後すぐの姿を撮影した写真が、今度は産経新聞社のウェブサイト(産経フォト)に掲載されました。続きを読む »
今から72年前の1945(昭和20)年8月8日、徳養寺のある八幡は激しい空襲を受けました。
当時の八幡製鉄所(現在の新日鉄住金)は日本の鉄鋼業の最重要施設であり、米軍の攻撃目標となっていました。八幡は、1944(昭和19)年6月16日と8月29日につづき、この日、三度目の空襲に遭いました。この空襲は凄まじく、2,500人もの方々がこの空襲で亡くなったといわれています。続きを読む »
開基早々、二度の移転を余儀なくされるという憂き目にあった江戸の徳養寺。(⇒ 江戸の徳養寺 Part1~歴史編)流れ着いた先の麻布ではどうだったのでしょう。古地図から徳養寺のあった場所が分かった為、このブログを編集している若院と若坊守の2人が、2011年初秋にその跡地を訪ねた記録をここでご紹介します。
まず…前回の記事の最後の写真では墓地を歩く若院の後ろ姿があり、読者の皆様の中には、そうか…他のお寺についに乗っ取られたのか?!😰 とご推察される方もおられたかもしれません…。
終戦後間もない時期に撮影された徳養寺の写真が新聞(※)に掲載されました! 終戦直前の8月8日の八幡大空襲で一面焼け野原になった街にポツンと立つ本堂をGHQの関係者2名が撮影している姿が確認できます(1945(昭和20)年9月14日撮影。米国立公文書館所蔵)。 ちなみに写真では分かりづらいのですが、レンガ造りの外壁は残っているものの、木造の内部はすべて焼失していました。(この2人のアメリカ人はもしかしたら、“ …Oh My God! It’s the church…?! ”とつぶやいたかも・・・⁈ (汗) 合掌。)