本堂が焼け落ちた日 〜 8月8日 八幡大空襲

今から72年前の1945(昭和20)年8月8日、徳養寺のある八幡は激しい空襲を受けました。

当時の八幡製鉄所(現在の新日鉄住金)は日本の鉄鋼業の最重要施設であり、米軍の攻撃目標となっていました。八幡は、1944(昭和19)年6月16日と8月29日につづき、この日、三度目の空襲に遭いました。この空襲は凄まじく、2,500人もの方々がこの空襲で亡くなったといわれています。続きを読む »

江戸の徳養寺 Part 2 ~フィールドワーク編~

開基早々、二度の移転を余儀なくされるという憂き目にあった江戸の徳養寺。(⇒ 江戸の徳養寺 Part1~歴史編)流れ着いた先の麻布ではどうだったのでしょう。古地図から徳養寺のあった場所が分かった為、このブログを編集している若院と若坊守の2人が、2011年初秋にその跡地を訪ねた記録をここでご紹介します。

まず…前回の記事の最後の写真では墓地を歩く若院の後ろ姿があり、読者の皆様の中には、そうか…他のお寺についに乗っ取られたのか?!😰 とご推察される方もおられたかもしれません…。RIMG1608隣の墓地の急斜面

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GHQが撮影した徳養寺

終戦後間もない時期に撮影された徳養寺の写真が新聞(※)に掲載されました! 終戦直前の8月8日の八幡大空襲で一面焼け野原になった街にポツンと立つ本堂をGHQの関係者2名が撮影している姿が確認できます(1945(昭和20)年9月14日撮影。米国立公文書館所蔵)。 ちなみに写真では分かりづらいのですが、レンガ造りの外壁は残っているものの、木造の内部はすべて焼失していました。(この2人のアメリカ人はもしかしたら、“ …Oh My God!  It’s the church…?! ”とつぶやいたかも・・・⁈ (汗) 合掌。)

170413_徳養寺戦後写真(読売朝刊27面)続きを読む »